「誕生日おめでとうございます、真二先輩」
季節の花と葉を3種類数本まとめて売られていた本来自宅用らしいブーケを水を入れたプラスチックのコップに挿してベッドの横にある棚に置く。
簡素ではあるが、どの道私がここから出る際には持ち帰るか捨てるかしなければならない花だ。
メッセージカードを付けて、綺麗な包装紙で包んで、リボンもつけて、なんて仰々しい如何にもお祝い染みた花束なんて柄じゃないし、なんとなく真二先輩もそんなものは望んでいないと勝手に考えた。
誕生日ケーキなんて持っての他だ。
大体この部屋には例えプラスチック製でもフォークは持ち込めないし、そもそも飲食物の持ち込みが禁止されていた。
何より大前提として真二先輩は一切の飲食が出来なかったし、花も、私も、見えているのか怪しかった。
窓の無い薄暗い部屋。いつ来てもここはあまりに静かで、2つある監視カメラだけが生き生きとしている。
花を置いてから真二先輩の顔を覗き込む。
骨と皮だけになって意識が混濁していた頃に比べればいくらかは肉付きはよくなったように思う。それでも今の私よりはずっと軽そうに見えた。
よく眠っている。
ベッドの左側に受付の人から渡された丸椅子を置いてそこに座る。
手に持っていた文庫本を広げ、ぺったんこになってクリーム色の紙にくっついていたえんじ色のスピンを持ち上げて表紙側へ垂らす。本と花とコップ以外の持ち物はこの部屋に入る時に全て鍵付きのロッカーに預けなければいけなかった。
真二先輩のお見舞いには週に1,2度来ていて、大体こうして本を読んで過ごす。
ずっと黙っているわけではない。たまに話しかけたり、ひたすら本を音読したりする。来客の音声も全て録音されると聞いてはじめはビクビクしてあまりしゃべれなかったけど、いつしか慣れてきてベラベラと一人で話すようになった。それで誰にも何も言われず今に至る。
真二先輩は喋らない。
ここに来るようになってからもう4年か、5年か。
最後に声を聞いたのは、去年の冬にこの部屋から響いてきた喉を潰したような悲鳴ともつかない叫び声と「嫌だ」「ごめん」というなんとか聞き取れた言葉だった。結局この日は面会は拒否された。
「せっかく来てくれたのに、その、すまない」
帰り際にすれ違った神成さんは酷く疲れ切った表情でそう言った。真二先輩が暴れると度々呼ばれていたようだった。
「早く治って、また君たちと話せたらいいなと思うんだが」
「……そうですね」
それより何で神成さんがすまないなんて謝るんですかとか、色々言いたいことはあったけどそのやつれた様子に何も言えなかった。そして何より神成さんの言葉にどこか引っかかってしこりが残った。
「真二先輩」
ぐっすりと眠っている、あるいは眠らされている真二先輩に静かに話しかける。
「治るって、何がなんでしょうね」
きっと神成さんに他意は無い。悪意は無い。分かってる。でも思う。
「分からないんですよね、あの人たちは、私たちじゃないから」
症候群の症状は出なくなった。それを人は治ったと言う。だからよかったね?ふざけないで欲しい。治るってどういうことだ。元に戻ること?だとしたらまだだ。まだ、私たちは渦中にいる。簡単に言わないでほしい。全然分かっていない。どいつもこいつもーー
そこまで考えて心の中で苦笑する。こんなこと言ったら雛さんあたりが大喜びで抱きついてきそうだけど。
「真二先輩は私と初めて会ったときのことを覚えていますか」
来栖先輩に連れられて入った部室で、でもやっぱり何も話せない私。
「真二先輩はお喋りな人だなって最初思って、そういう人苦手だなって思ったんです。大体そういう人って私に何か話してみろとか言ってくるし、話さない奴だと分かったら興味なくされて無視されたり、下に見てきたりするから。でも先輩はそんなことなかった。ただたまに話しかけてきてくれて、それで返事が出来なくても「ひとりごとみたいなもんだから」って言って笑ってくれて、たまにお互い無言になっても全然気まずくなくて……」
自分の言いたいことがまとまらなくて語尾で詰まる。
話せるようにはなったけど、話すことにはまだ慣れない。
「だから真二先輩も、話せるようにとか早く治そうとか、そういうことあんまり思わなくていいんです。きっと、そういうことじゃないんです」
そこまで言って息をつく。
なんだかんだ、ここではこういう自分たちの状況や気持ちについて話そうとしてこなかったので無意識に緊張していたのかもしれない、強張っていた肩から力を抜いた。
「……あ、もう時間」
病室の壁の高い所に設置された時計を見る。
面会制限時間の10分前だった。
5分前になったらビープ音が外から鳴らされる仕組みになっていたが、それが鳴る前に自主的に退室することにしていた。品行方正で優等生であることを振舞い、当初は10分も無かった面会時間を伸ばしに伸ばして1時間半にしたのだ。今更それを縮めるような真似はしたくない。
棚に置いた花とコップを回収する。
ふわりと花の香が薫って、せめてこの香りだけでもこの部屋に残ればいいと思った。
「誕生日なんて祝われても嬉しくないかもしれませんけど」
それでも、まだ伊藤真二がこの世に存在していてくれることが嬉しかったから。
「有難うございます、真二先輩。あなたが生きていてくれることを感謝したかったんです」
2020.09.01 香月華より、伊藤真二へ
伊藤真二誕生日記念で2020年9月1日当時に書いたものです。
伊藤ちゃん一言も喋らないし祝う気があるのか?って内容なのは相変わらず。