The Carrots

「『The Carrots』!いいね、そうしよう」
ね?とわざとらしく首をかしげて話し掛けてくる隣の席のダリアに顔を向け眉を顰めた。
「何がですか」
「私たちのチーム名」
「はぁ」
適当に相槌を打ってキーボードを叩く作業に戻る。ちらりと見えた彼女の机は閉じられたラップトップの上にファミリーサイズのポッキーが広げられていた。彼女の好む定番の赤いパッケージ。相変わらず仕事が早過ぎるようで今日の業務はとっくに終わっているようだった。
つまり彼女は今暇を持て余している。
そして大体の場合、その暇つぶしの格好の獲物として俺が選ばれているわけだ。
「ね、いいでしょ、ロゴマークとか作ろっか」
「帰らないんですか」
「ワッペンにしてキミの胸ポケットに付けようよ、刺繍でもいいね」 
「帰らないんですか」
彼女に固定の就業時間は定められていない。いっそ「業務」も固定されていないと言っていい。彼女の体裁で彼女の仕事は終わる。定時も無い。
だから今の俺のように報告書類を作る必要も無い。というより彼女にそういう仕事をさせないために俺がいる。
それはいいのだが、毎度こう邪魔をされては業務に支障が出る。彼女の暇つぶしの相手も仕事の一部だと言われればそれまでなのだが、その場合手当とかなんか、とにかくとりあえず何かを所望したいと思う。
「ソージくん、あーん」
「……」
横から頬に押し付けられたポッキーを渋々齧る。
毎日のランチのラーメンに間食のチョコレートに、ダリアもだが自分の健康状態が心配になってくる。
「人参好き?」
「……」
「私はココナッツとクミンで炒めたのが好き、知ってる?ソージくん」
「……」
「現場とか留置所とか行く度に『The Carrotsでーーす!』って自己紹介しよっか、芸人みたいで楽しいかもよ?ははは、バカみたいだねぇ」
「……ダリア」
黒木さん、と言いかけるクセは漸く抜けてきた。
椅子ごと右隣へ向き直るとダリアは靴を脱いでポッキーを三本同時にポリポリやりながらなぁに?と気の抜けたような、どこか媚びたような声色で俺の視線を受け止めた。
「なんで人参なんですか」
「『The Carrots』気に入った?」
「人参好きなんですか?」
「ふつう」
「……あぁ、色か」
「あと名前」
ね?『草』二郎くん、と機嫌よく椅子のキャスターを転がして椅子ごと体当たりしてくるダリアを机を掴んでなんとか体勢を保つ。
「あれは『葉っぱ』じゃないですか」
「同じ同じ、あと髪の毛がつんつんしてて草っぽいよ」
鼻と鼻が触れそうなほど無遠慮に顔を寄せ、あははと笑って手のひらで感触を確かめるようにさわさわと俺の頭を撫でてくる。
「セクハラですよ」
割と強めに睨んでいるつもりだが、ものともせずにキャロットカラーの前髪の隙間からイタズラする子どものような大きな瞳を上目遣いで俺に向けてくる。
「ネクタイとシャツもグリーン系多いよね」
「セクハラですって」
髪を触っていた手がうなじ、首、ネクタイ、胸元にまで伸びてきたので再度抗議する。
ダリアは本当にベタベタとよく人の身体を触った。
俺以外の、初対面の相手にすら無遠慮に顔を寄せて喋りかけたりするのでパーソナルスペースが人よりとても狭いのであろう。それに加えてこのボディタッチは周りを誤解させかねないためやられる度に抗議するが、全く聞いていないらしい。聞く気が無いと言う方が正しいか。
触れる手が腰から尻に移りそうだったのでさすがにもう少し諌めようとしたところで唐突にその手が引っ込んだ。
「帰ろっかな」
そう言うと彼女は突如すっくと立ち上がり広げたポッキーを大雑把にまとめて鞄に放り込み、靴を履き直して背を向け挨拶も無しに部屋を出て行ってしまった。
急に静かになった空間にため息をつく。
彼女の行動にはいつも振り回される。彼女の気分ひとつで何もかも決まり、事の体裁など有りはせず、突然始まり突然終わる。
人の都合など一切気遣わない。
先ほどのように急に触れてくるのも急に飽きてまるで他人のように振る舞い去るのもいい加減慣れたい奇行のひとつだが、いかんせん彼女はあえて俺を困らせて遊んでいる節があるのでどうも上手くいかない。
「『The Carrots』……」
『ダリア』呼びの強制といい、こういうネーミングをすることに彼女なりの拘りのようなものがあるのだろうか。よく分からない。
いや、理解しようとするだけ無駄なのだ、こういう類のものは。
とりあえず明日からは意識して緑色のネクタイとシャツは身に付けないようにしてやろうと誓って今日の所は帰路に着いた。何が葉っぱだ。人のことを何だと思っているのか。いや何も思っていないのか。

翌朝。
昨夜の帰りに文房具屋で人参の絵の入ったスタンプをいくつか買ってきてご機嫌だったダリアが俺の服の色を見た瞬間顔色を変えて物凄い力で俺の腕を引っ掴み、一日中百貨店やらダリアお気に入りのラグジュアリーブランドだのメゾンだのの店舗を連れ回され、「緑色以外のネクタイとシャツは全て捨てろ」と大量のショップバッグを押し付けられてそのまま家に帰された。中身は今日一日買い回ったグリーン系統のカラーのネクタイとシャツがぎっしり。しかも全て経費で落とすらしい。
……仕事してくれ。


2021年6月5日に書いたもの。2人並ぶとビタミンカラーで健康に良さそうだなと思って。